葉緑体DNAメチル化による光合成遺伝子発現の抑制:学術的理解の整理

光合成、クロロフィル分解、リコピン合成のそれぞれの指令は、DNA遺伝情報にある。DNAの遺伝暗号は、A、C、G、Tと言う4種類の文字の組み合わせからできている。これらのうちCについて、その化学構造の5位にメチル基が入ることがある。トマト果実におけるメチル化DNAの機能を以下の方法で解明した。(1) DNAを切断する制限酵素には、メチル基を感知するものとそうでないものがあり、これらを使うことによりDNAメチル化を検出できる。(2) DNAのA、C、G、Tと言う暗号分子をバラバラにして、「逆相HPLC (高速液体クロマトグラフィー)」 と言う技術を使うと、メチル化Cが検出できる。(3) 光合成は細胞内の 「葉緑体」 と呼ばれる細胞内小器官で営まれるが、この葉緑体を単離し、遺伝子発現を試験管内で継続させることができる。(4) 葉緑体から調製したあるいは市販のRNAポリメラーゼと言う酵素を用い、葉緑体から取り出したDNAを試験管内において遺伝子発現 (RNA合成) させることができる。これら4つの技法を用い、トマト果実の赤色化過程で、葉緑体の光合成遺伝子がメチル化し、その結果これらの遺伝子が発現しなくなり、最終的に光合成機能が停止するとの結論に至った。"米国科学アカデミー紀要" と等しく評価される欧州の “EMBOジャーナル” に1990年にこれを発表 した。この結果は、他の研究者の興味を引き、トマトや他の植物を用い、DNAメチル化と遺伝子発現についていくつかの研究が行われた。

モデル実験植物シロイヌナズナを用いた分子遺伝学的研究により、このDNAメチル化に介在するさらなる機構を解明し得ると考えた。シロイヌナズナにはトマトの果実に相当するような器官はない。そこで、シロイヌナズナの葉、根、培養細胞の3者間でDNAメチル化を比較した。しかしながら、シロイヌナズナではDNAメチル化が介在すると考えられる現象を見出せなかった。その後30年余、私は別の研究課題に取り組んだ。この間に文献データベースが完備され、私たちの発表論文がその後のどの研究論文に引用されているかを容易に知ることができる。私たちの結果を支持する論文もあるが、異議を唱える論文を少なからず見出すことができる。その後30年の間に技術が進み、(5) Cのメチル化をDNA塩基配列レベルで決定できるようになった (バイサルファイト・シークエンス法)。(6) DNA中のメチル化Cを選択的に光架橋検出する最新の技術 (PAA-g-Dex存在下Ps-Oligo) を用い、DNA配列中のメチル化修飾の位置や量を知ることができる。(7) DNA上の遺伝子の読み始めの部分にRNAポリメラーゼや転写制御因子が結合しているか否かを知ることができる (ChIP:クロマチン免疫沈降法)。(8) メチル化C特異的な抗体により、そのメチル化C近傍の遺伝子配列を解析できる (MeDIP:メチル化DNA免疫沈降法)。さらに、この抗体はメチル化DNAの高感度検出や組織染色にも利用できる。(9) 特定の配列にメチル化Cを導入したDNAを化学合成し、このようなメチル化遺伝子の発現 (転写) を前述の試験管内の系で調べることができる。トマトを使ったこれらの実験が望まれるが、現時点では以下のように理解する。(I) DNAメチル化による負の制御は、トマト果実の赤色化過程、長年継代培養し再分化能を失った培養細胞、トウモロコシでの光合成 (C4光合成) に見られる細胞特異的な遺伝子見発現など、鍵となる光合成遺伝子の発現を抑制する不可逆的な過程でのみ作動する。光合成機能を喪失する不可逆的な過程でのみ起動する。すなわち、暗化で育てた実生が光により緑化するような光合成機能を獲得する場面では、この系はDNA脱メチル化としては働かない。(II) トマトの赤色化過程において、葉緑体DNAのメチル化が上記 (1) と (2) の方法で検出されない結果が報告されている。この実験では、アルゼンチン品種Platenseが用いられ、(3) と (4) の実験は行われていない。私たちは主として日本品種Firstmoreを用いた。これらの結果を比較してみると、(1) については、DNA断片の同定に用いているプローブが異なるので比較でない。(2) では同じ方法論を用いているので、品種Firstmorでのメチル化Cの溶出時間の箇所に、品種Platenseにおいてピークではなくショルダーがあるように見える。可能性として、品種によってDNAメチル化の程度に差があるのではないだろうか。(1) においては、制限酵素認識部位が遺伝子発現を制御している配列内にあるとは限らないことも考慮しなくてはならない。また、(2) について、私たちの系では26%のCがメチル化しているが、これが5%以下だと検出限界となる。私たちの (4) の結果から考えると、品種Platenseは品種Firstmoreに比べて、DNAのメチル化率が1/5程度なのではないだろうか。低いメチル化でもその遺伝子発現の制御配列内であれば、遺伝子が発現しなくなる可能性が高い。近年、メチル化DNAの包括的解析 (メチローム) が可能になってきた。 イネの登熟過程における葉緑体DNAメチル化の分析結果は、私たちのトマトの実験結果を強く支持している。

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June 17, 2024, released      Hirokazu Kobayashi